「れんだいうてなの世界」と
「この世界は無条件の愛」って記事はつながってるんですけど、
これってどっちも難しいですかね?
「れんだいうてなの世界」の記事の内容を要約すると
人間は自己無価値・罪悪感・死の恐怖(以下、三毒)という
人間が見たくない根本を抱えているから
幸せになりたいと思っていても根本が隠れて抱えているせいで
幸せを定義できずに
結局幸せになることは不可能に作られていて、
生きている間にも死んだ後もグルグル回れるようになってるよっていう話ですね。
そのグルグルっていうのは
幸せになりたい!って思うように作られているのに
幸せを定義できないようにも作られているから
絶対に満たされないように作られているからですね。
幸せを定義するには
自己無価値・罪悪感・死の恐怖の3つと向き合わなければ
幸せを定義できないからです。
でもこれは普通は念入りに隠されているので幸せを一生定義できないわけです。
ね?グルグルしてるでしょ?
幸せになりたい!→幸せを定義できない→三毒が隠されているから→(幸せが定義できないまま)幸せになりたい!
「この世界は無条件の愛」の記事の内容を要約すると
無条件の愛はあなたがどんなに苦しんでいようがえぇよえぇと愛して
願いを叶えてくれているわけですよ。
幸せになりたい、けど幸せがなにかわからない。
生きづらい。。。
どうやって生きづらさを解消したらいいかわからない。。。
「えぇよえぇよ。生きづらくても愛しているよ」
あなたの願いは
「幸せになりたい!幸せの定義がわからないけど幸せになりたい!
だから幸せになる方法で
辛い思いはしたくない。見たくないものは見たくない
臭いものにはふたをしたい。
厳しい指摘や辛い指摘はしないでほしい。
なぜなら、根本にとんでもない三毒を抱えているからそれを見たくない。
三毒を抱えたまま幸せになりたい。だから三毒は見せないで、お願い。
それを見るぐらいだったら
表面的に苦しい苦しい、辛い辛い何とかして欲しいって
言ってる方がまだましだから。
愛とは優しい優しい慈愛だけにしてほしい。
きびしく三毒を見せられたらその闇には耐えられないもの。
だから優しい優しい愛だけにして自由にやらせて。
そのためだったら幸せになりたいけど、幸せの定義はわからないままでいい。
私は幸せを求めているんだからいつか幸せになれるはずだもん」
よりおぞましいものを見ないで済むという対価を得るために
苦しみとほんちょっと楽しさという
人生の山と谷を望んでいるわけです。
本人が望んでいることを無条件の愛は叶えてくれているわけですよね。
だから無条件の愛はなにひとつあなたの苦しみの原因を指摘しないわけです。
「えぇよえぇよ、苦しんでるみたいだね。愛しているよ」と言ってるだけで。
本人が望んでないのに苦しみの原因と三毒を指摘したら無条件じゃないからね。
本人が「三毒を指摘されて明るみにされるぐらいだったら表面的に
苦しい苦しい、辛い辛い、何とかして欲しいって言ってる方がまし」って言ってるわけですよ。
この世界は無条件の愛だから三毒が隠されたままになってる世界なんですよ。
無条件の愛のおかげです、人間が不幸なのは。
そういうふうに作られているのが維持できるのは
無条件の愛のおかげです。
三毒どころか人間は自分の思考や感情の意図すらわからないままだから
一生たどり着けないでしょう。
そういうふうに設計されてるんだから。
顕在意識、潜在意識っていうふうに意識すらバラバラになって
自分のことがわからないようになってるんだもん。
明らかに幸せになりたいけど、幸せになれるように設計されてない。
この世界ってのは無条件の愛によって成り立っているわけですよ。
無条件の愛じゃないと
三毒と
幸せになりたいけど幸せを定義できない
この2つを維持できないから。
なので誰かが三毒の存在の指摘や
幸せを定義したらこの世界はぶっ壊れちまうわけですよ。
この世界のシステムからしたら”ウィルス”なので
エージェントガネーシャを派遣して排除しようとするわけです。
もしこの世界が”無条件の峻厳”の世界だったら
人間の心の闇、根本、三毒が常に見えている世界で
それを厳しい追及と激しい指摘だけがある阿鼻叫喚の世界になるでしょうね。
でも三毒が見えていて、幸せを定義できていて、
それを修正する方法があるならいつかひっくり返るだろうなぁ。
”無条件の愛”の世界も
三毒が見えていて、幸せを定義できていて、
それを修正する方法があるならいつかひっくり返るだろうなぁ。
僕の書いてる内容って
たぶん見る人から見たら
批判チックで否定的で「怖い」はずなんですよね。
なぜならそれはその人の持つ、そして世界の愛のイメージから逸脱してるからです。
愛とは無条件の愛であまあまのふわふわでないと愛じゃないから。
だから、批判的で否定的だと愛じゃないからこいつの言ってることは「だめ」だって簡単に言えるわけですね。
僕が第三者的に僕のYouTubeやブログを見たら自分でもそう思う気がします。
「批判的だからだめだな、こいつ」って。
だからこのブログ読んだりYouTube見てる人って頭おかしいんですよ笑
無条件の愛がこの世界を存続させている大切なピースなので
スピ業界は神の愛は無条件って言わないといけないわけですよ。
スピ業界っていうかチャネリングしてる連中ですよね、いいはじめたのは。
まぁ、言わされてるわけですよ。
愛っていうのは慈愛の塊で厳しいこと言ったり否定的だったりしちゃいけないわけです。
無条件の愛じゃないと世界の存続にかかってるんでね。
だからダメなんだよ。指摘しちゃ。
三毒暴いたり、
幸せを定義したり
世界が無条件の愛で成り立ってること言っちゃだめなのよ。
わかる?
だめなの。
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