ピンチをチャンスに変えることができる人間はごくわずかだと思います。
状況にあわせて「自分自身」を変化させられるかどうかってことですよね?
そこで変化を拒む「我」の強い奴は淘汰される(生きづらい)という世の中の原理ですね。
人間の脳は「進化を求めるけど変化を極端に拒む」という性質があるため
ピンチをチャンスに変えづらいです。
三日坊主という言葉がありますが、
自分を変化させようと思ってなにか新しいことに挑戦しようとしても三日で元に戻るのは
ホメオスタシスという「もとにもどろう」とする恒常性が人間には備わっているからですね。
その性質の方が強いので三日坊主でなにごとも終わる人が多いんです。
その人の持つ、「もとにもどろう」とする「もと」のエネルギー準位を
電子の軌道が変わるぐらい高めれば、「もと」の位置が変わるから
コンフォートゾーンの外側に出るのなんて簡単なんですけどね。
私はピンチをチャンスに変えることを
「コンフォートゾーンの外側にでる」という表現をさせていただいておりますが、
コンフォートゾーンの外側にでる人間はほんの一握りだと思います。
ほとんどの人間が「自分自身は現状維持」をしながら「外側を変えよう」としているからです。
だから出られない。ピンチをチャンスに変えられない。
そんな人間に必要なのは慈愛と峻厳の中庸です。
だからダメなものはだめといいます。
たとえば、誰かが行きたいと望んでいるもの(幸福とか)に
その方法論では連れて行ってくれないようなものを一生懸命やってるのに
人生変わらないと嘆いるひとがいれば、
「それ役に立たないに決まってるじゃん」ってはっきりいいます。
ほとんどの人間が「自分自身は現状維持」をしながら「外側を変えよう」としているから
と言いましたが、
そこから一歩進んで
相手や外側は変えられないから、ものごとの受け止め方を変えろ、
というリフレーミングもありますが、
それも意味ないって僕は言っちゃってますからね。
本人がニュートラルとしている波動やエネルギー準位をそのままにして
知覚の表層をリフレーミングしたりポジティブシンキングしてもよけい苦しいんですよね。
摩擦や抵抗が心の中で生じます。
自分のニュートラル状態の知覚と無理やり後のせサクサクのリフレーミングした知覚には
ギャップがあるからですね。
つまりみんな自分の持つ電子とか素粒子情報を変える=エネルギー準位を変える方法、
「もと」となるニュートラルな波動を変える方法なんて知らないですからね。
人間の持つ「もとのニュートラルな波動」とは深堀すると三毒に行き着くってことですね。
人間は誰もが幸せを求めているのにもともと幸せになるように設計されてないって話ですね。
アルコーンOSだと
「もとにもどろう」とする性質のホメオスタシスが発動するために
進化を求めるくせに変化を極端に嫌うから変化が難しいんですが、
(だからずっとモヤモヤぐるぐるできる)
これがアイオーンOSになると
「もとにもどろう」とする「もと」が変わるので
悟りを「もとにもどる」ことと以前定義しましたが、
そっちの「もと」に戻ろうとする方向に勝手に自然治癒していく恒常性の流れになるんですよね。
余計な周波数が勝手にどんどんなくなっていくみたいな。
自身を幸せにしない信念などが空になっていくみたいな。
これが転輪聖王が人間のニュートラルな波動をダルマで統治した、宝船状態ですね。
いやー素晴らしい。
それができたらめっちゃいいですね。
とは言いつつもいきなりアイオーンOSには切り替えられないので
そのための方法論は覚えてますか?
九柱輪和の達成と空と中庸を知っている人ですね。
九柱輪和は、どの人間のテンプレとも仲良くやれる人、円満をもたらす人ってことですが、
ただ誰とでも仲良くやれる人がアイオーンOSに切り替えられるかって言うとそうじゃなくて
中庸を知らないと反対側を世界に創り出しちゃうからダルマでいられないよってことです。
そのためには空が必要ですよね?
なので空と中庸を知らないとなりません。
空と中庸をたずさえて、九柱輪和を達成するには、
以前にも書きましたが、
①自分の心の闇を知る
(これだけだと自分を自分でジャッジしてしまって余計苦しくなる)
②なので自分で自分を癒す方法を知る
(可能なら自分を癒す=空にしていくという目的に適った手段、ヒーリングが理想)
ここからですね。
自分の心の闇は人間関係に投影するので、そこの抵抗と摩擦を取り除くために
自分の心の闇との対峙が必要になってくる場面もあります。
心の闇とか仰々しく言いますけど
心の闇ってべつに本人とは何の関係もないんですよね。
ただその周波数を身に着けているだけってことで。
「周波数なんで逆位相で消せば?」ってぐらいなもんで、
その周波数や心の闇と一体化する必要なんですよね。
一体化するとジャッジしてしまうから、心の闇を見るのが怖い。
①のこれになってしまうわけですよ。
自分の心の闇を知る
(これだけだと自分を自分でジャッジしてしまって余計苦しくなる)
建設的分離というか、一体化する必要ないんですよね。
自分自身とはまったくなんにも関係ないんですよ、ほんとうに。
心の闇をみつめて「なんて自分は罪深い存在なんだ!」なんて思う必要ない。
サイヤ人ばりに気に入らないやつは殺すぐらいの殺意、誰でも持ってますから。
自分と意見、見解が違うものは社会的に殺すとかそこらじゅうで起こってるでしょう、世の中。
引きずり下ろすとかね。
クビにするとか。
いじめるとかね。
獣と変わらない遺伝子というのも普通に持ってるんで、
そんなことにいちいちショック受けないで、見に行けばいいし、
見つかっても「まだそんなん持ってたん?!」ってそのギャップに爆笑して
ただ癒せばいいじゃないですか?笑
隠してれば、愛ぶって、さも殺意なんかないかのように振る舞えますけど、
隠していても持ってるものは持ってますからね。
隠している限り、隠したままです。
隠している限り、持ったままです。
人間の根本は
自己無価値感と
死の恐怖と
罪悪感の三つなんだから、それを外側に投影すれば
意見が違うやつは殺すぐらいの観念がうえに形成されるのなんて当たり前でしょう。
普通です。
ただそれに気づいて、
それを許しなさい、
それを手放しなさい、
それを受容しなさい、
抱きしめてやりなさい、
愛してやりなさい
祈りなさい、
とか超抽象的であいまいな癒しの方法しか持ってなくて
②に進めないなら、隠したままとたいして変わらないです。
②とはこれですね。
自分で自分を癒す方法を知る
(可能なら自分を癒す=空にしていくという目的に適った手段、ヒーリングが理想)
②ができないなら①で止まったままですからね。
②を知ってるなら
安心して己の心の闇を知って消していくことから始めていけますね。
②を知らないと①で止まったままになるとかこのゲーム、そもそもルールおかしいだろ?笑
①だけでずっと輪廻し続けられるとかね。
ルールがバカ。
①だけで輪廻し続けられるなら一生、九柱輪和なんて到達不能じゃん。
ルールがバカ。
以前に、この世は知識と運ゲーといいましたが、
知識だけを蓄えてるスピリチュアル理論バカってのもいますけどね。
それって以前に言った
・視点
・視野
・視座
という観点がないから。
ずっとスピリチュアルの問題をスピリチュアルで解決しようとすると
視点、視野、視座が固定されて、
アクセス情報量と吸収率が固定されてインプット情報量がほぼなくなる。
だから知らないことは認識できないというスコトーマ(心理的盲点)が起きる。
↑↑↑
これって言ってる意味が難しいですよね。
ずっとスピリチュアルという情報にアクセスし続けると
アクセス情報量が減ってきますよね?
だんだん新しい知識を吸収できなくなってきますから。
スピリチュアルという視点・視野・視座が固定されて
アクセス情報量と吸収率が固定されてインプット情報量がほぼなくなりますから。
アクセス情報量を増やすにはまったく違う分野の知識を取り入れて吸収率を高めないと
スピリチュアルとまったく違う分野という両方のインプット情報がかけあわされると
知らないことは認識できないというスコトーマが起きづらくなるわけですよ。
違う分野という視点・視野・視座を取り入れると
スピリチュアルという知識がまったく違う活用法で使われ始めたりするわけですよ。
この世界は知識ゲーといっても、あるひとつに特化した専門家になると
なんにも見えなくてなんにもわからなくなるんですよね。
肝臓だけに特化した医者は、他のつながりとなんで肝臓がぶっ壊れるのか見えなくなりますよね?
肝臓がぶっ壊れたからって肝臓だけ見てていいんですか?
スピリチュアル理論バカはスピリチュアルだけ取り入れようと思ったのはなぜなんでしょうか?
世間のスピリチュアルってそんなに霊的なことも物質的なこともあらゆることをカバーしてるんでしょうか?
その知識っていうのは、
あなたを幸せにしましたか?
あなたを救いましたか?
あなたを癒しましたか?
あなたを変化させましたか?
あなたの人生を別のところに連れて行ってくれましたか?
なんのために知識を取り入れてるんですか?
趣味ならOKです。
楽しんでください。
知識がたくさんある人は
空・中庸・ダルマって聞いたときに、
それが大事ならそういうふうに生きようと思って、
「欲をなくしてできる限り空で生きよう。
何も望まず、中庸で生きよう。
カルマを生まず、解消していけるように生きよう。」
と思考や考え方でそれをどうにか生きようとするのかもしれませんが、
空や中庸、カルマの解消は、
行動や思考じゃないです。
存在そのものです。
中庸でいるには世界に反対側を生み出さないようにダルマでいないと不可能です。
ダルマでいるには空を自分に流せないと不可能です。
空とは思考でしょうか?
空が何かわかったらそれが実現可能になるんでしょうか?
知識ゲーなのに知識がなんの役に立つんでしょうか?
知らないことは知ろうとしなければずっと知らないままですが、
知っただけでなにも応用できない、
知っただけでなにも行動できないなら
ただの趣味ですね。
②が絶対的に必要になってきます。
②はこれですね。
自分で自分を癒す方法を知る
(可能なら自分を癒す=空にしていくという目的に適った手段、ヒーリングが理想)
①すらほとんどの人がやりません。
自己分析好きが①をやったとしても②がなければ前に進めません。
①と②が揃わないと
先に進めないってルールがバカ。
③はこれですね。
人間関係の投影をなくすぐらい自分を癒していく
(なぜなら「他者」を通して自己を知れる、心の闇の投影システムがあるから)
でも
②を無視して③に進むことは可能です。
奇跡のコースはこれですね。
①と③をメインに進めていきます。
コースの癒しの方法論は許しです。
ワークブックの第二部の最初に「許しとは何か?」という大きな項目がありますが、
許しについて何も書いてないと常々当時思ってました。
「これ書いたやつ、たぶん救う気ないな」と。
「しょせんはアダムか。」と。
許しというのは聖霊への祈りとゆだねで起こる神の御業ですよね。
たぶん。
確かに癒されたこともありました。
エゴの知覚から聖霊の知覚への突然の転移を奇跡と呼んでいますが、
「奇跡」が起きたこともあります。
ですが、遅々として進みませんでした。
①と③については1300ページぐらいにわたって書いてあるので
役に立つ部分も大いにあります。
でもいらないです。
頭グルグルしてるひとがあれ読んでも余計グルグルして苦しいだけなので
いらないです。
①と③でグルグルするだけです。
じゃぁ、どうしたらいいのよって話なんですけど、
どうしたらいいんですかね?笑
生まれた時点で②を携えてから生まれて来いよって話なんですよ、そもそも。
でないとルールおかしいだろ。
その②って自然治癒のことなんですけど、
ある程度は携えて生まれてきてるんですが、
カルマという無意識のエネルギーパターンが邪魔で
潜在意識・無意識のエネルギーパターンを生きてるだけで癒していくという
本来の力を発揮しない状態で生まれてくるから
ちょっとした病気やケガが治る程度しか発動してないんですよね。
潜在意識・無意識のエネルギーパターンってまぢ邪魔やな。
自然治癒を備えているのに
潜在意識・無意識のエネルギーパターンのせいで
潜在意識・無意識のエネルギーパターンを癒せるように
最初から備えてた自然治癒が発揮されないようになってるとか
病気かよ。
さすが僕たちは気の狂った創造主の分霊だよね笑
そもそも救う気がない創造主から、
そもそも救われる気がない分霊ができたんか笑
OS切り替えたいよね。
(OSとは人間を自動で動かしている基本ソフトウェア。
潜在意識・無意識の自動プログラムパターン。)
ちょ、まぢで。
アイオーン頼むわ。
九柱輪和を達成して空と中庸をたずさえて蓮台にならないと
OS切り替えられないとかそのルール、どうにかならないの?
なんかいまんところダメらしい。
もうルールがアホ。
まぁ、仮に①②③と揃ってる3点セットのものが目の前にあっても
それを目にしたひとがどれぐらい目に見えないひとたちに守護されて導かれて
超意識に操られているか(笑)で
目の前にあるものに興味を持つかどうかが決まるんだよね。
ほとんどのひとが興味持たない。
だって、僕たち、
そもそも救う気がない創造主から、
そもそも救われる気がない分霊ができたんか笑
これだもん笑
存在が病気だからね。
でもその病気も本来の自分とはなんの関係もないけどね。
アルコーンも、ゆーても神の子ですからね。
第一子、アダムですから。
我々が「もとにもどった」状態が本当のアルコーンの姿なんやで?
アイオーンの子や。
わかる、これ?
アルコーンは自分の出自を忘れて、自分が唯一の創造主と勘違いしてる堕天した存在よ?
いまの我々と同じですよね。
てか、アルコーンの分霊だから、同じなんだけどね。
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