潜在意識・無意識が99.9%ならそこのプログラムや周波数の通りに勝手に自動で
もともと動いてるわけです。
それが自身を幸せにしない周波数だとしても保有されているんだから、
そのとおりに言動すれば、勝手にそうなっていくわけで、
そこが空・中庸・ダルマになったら、その周波数通り
そのとおりに勝手にそこに向かっていくように言動するって思いません?
もっと、シンプルでよくない?
だって、我々は蓮台でただの器だぜ?
器はからっぽじゃないと入らないよ?
我々という肉体という色がないとそこに空という神仏降りてこなくて
色即是空にならんやろ。
もちろんやつらも器がないと
空即是色にならんけどね。
(※そんな解釈あるか?笑 聖霊曲解がはんぱないな笑)
昔の動画で
呼吸について一瞬だけふれたことありましたけど、
「呼吸とメンタルが関連する報告が多いのですが、これってなんなんでしょうか?」
という疑問があった場合、
呼吸は無意識にしてる自律神経系と
呼吸は意識して、早めたり長めたりと自在にできる部分の中間なんですよ。
呼吸は自動でしてるし意識してもできる真ん中なんです。
つまり呼吸法は「意識して無意識にアクセスする方法」なんです。
無意識領域ってメンタルが支配してる世界ですよね?
呼吸法が瞑想の導入に使われたりするのは、
無意識領域に意識的にアクセスするためです。
さらにその下の超意識にアクセスしたいんでしょうね。
瞑想をしているひとって。
我々の意識は
顕在意識
潜在意識
無意識
超意識
この4層構造で
顕在意識が0.1%
潜在意識・無意識が99.9%ですね。
じゃぁ、超意識は?と思いますか?
超意識は
自分の意識を超えた意識を超意識というので、
このパーセンテージの中に入りません。
人間の耳に聞こえる20Hzから2万Hzを音として捉えるので
耳に聞こえるものを音だと認識するのは当然ですが、
聞こえない周波数も音です。
全ては振動でありその影響である
すべては音でできています。
人間の耳に聞こえない音を楽器でも自然でも放っています。
その聞こえない音が人間の脳波をアルファ波にして
リラックス効果を与えると言われているので
聞こえる音がすべてではないです。
CDやMP3は人間の可聴域だけを残してあとの音は聞こえないからいらないっしょ
ってカットしてしまうことでデータの容量を圧縮する技術なので不可逆圧縮(元に戻せない)です。
すべての音が収録されるわけではありません。
クリスタルボウルのときにもいいましたね。
あれをCDにしてもすべての音は収録されないから生で聞かないと意味がない。
さらに演奏者の波動を増幅させるなので変な奴の演奏は聞かない方がいいと。
無意識や超意識に呼吸法やその他の方法でアクセスするのは
自分を自分の都合のいいようにコントロールするためではありません。
例えば、「行動したくない」という観念に気づいて、
それを癒しのテーマにして、それを癒したのに
まだ「動けない」
なので、その「行動したくない」の裏にある観念はなんなのか?
とそれを見に行って、それを癒しの対象にしたけど、
まだ「動かない」
これはつまり、
「動かない」が正解なのかもしれないってことです。
「動きたくない」
「動かなければならない」
どっちが邪魔な観念なんでしょうか?
動くか動かないか、
どちらが正解か顕在意識にはわからないので、
癒しというやるべきことをやって
動かないなら動かないのがよいと判断するしかないですね。
動けない観念を取れば動けるようになるという思い込みが邪魔なんですよね。
意識の99.9%が潜在意識・無意識なので
そこを空、中庸、ダルマにしたのなら、
そのあと勝手に無意識にやることが正解ってことになりませんか?
例えば、
何を買うか買わないか、
それが必要か必要じゃないか
AかBか
どっちを選んだ方がいいか
選択肢があった場合、
あるいは選択肢ではなく、
どうしたらいいのかわからない、
なにがやりたいのかわからない、
という場合、
我々は自由意志がなく、
ほとんどが潜在意識・無意識の決定に逆らうことなく、
あとから自分で決定した、思いついたと顕在意識が勘違いする機能が脳にあるわけです。
選択肢や、
どうしたらいいか答えがわからないというのは
悩んでいる、モヤモヤしている、スッキリしない、ということなので
それを癒しのテーマにして
潜在意識・無意識を空、中庸、ダルマにしてそのあと、
勝手になんか動き出しませんか?
2分もしたらもう勝手に動き始めません?
違うのかな?
「もうかよっ!」みたいに勝手に動きません?
動かないときもありますよ。
そこで動かないことに不安を感じるならその不安を癒しのテーマにしてください。
それで動かないなら、その動きはいまはいらないってことです。
不安に駆られて動かなきゃっていう初動からした行動ってなんか実を結びますかね?
この世に自分が何しに来たのかわからないという場合は、
空にしたときに「急に自分が何をしたいのかわかった!!閃いた!!」というより
自分がしたいことに向かうように勝手に動き出しません?
量子力学系の話を動画でしたときに
現状のAから理想のDに向かうには
現状をCの位置に上げるしかないっていいましたが、
これって願望実現とかに使うだけじゃなくて、(使ってもいいですけど)
なにをしたらいいのかわからないままでも
その理想のDと波動的につながったのなら勝手にそこに向かって無意識に動き出しません?
ということは、
この世に何しに来たのかわからないまま勝手に行動して動いていくってことなんですね笑
理想Dっていう圧倒的未来ってのはぼんやり描いてるぐらいでいいです。
もっと直近はもっと明確に計画を立てた方がいです。
ぼんやりは波です。
明確化は粒です。
波と粒の両方を使ってください。
この場合ですと、
「この世に何しに来たのかわからない。
でもこの世にしに来たことをしたい。」と思ったのなら
それを理想Dに設定します。
めっちゃぼんやりしてますよね笑
で、それをテーマに自分を癒す。
そうすると勝手に何かを調べたり、勝手に何かを買ったり、
勝手に向かっていく行動すると思うんですよね。
なにかいま不平不満を抱いていて、それを癒しのテーマにしたのに
不平不満がいっときなくなったけど、
猛烈に復活する場合は、
魂が「もうそれをやるな、そこにいるな」って言ってる場合もあります。
不平不満をなくして、そこにい続けようとするのって
コントロールなんですよね。
わかりますかね?
そこから脱出するためになにかしようとしないですかね?
そのために何かを買いたいと思ったのなら買ってもいいです。
金を稼いで生活するための適職と
魂が美を表現したい天職って違う場合があります。
適職しながら魂の美に向かっていくプロセスもまた美なんですよね。
これってコントロールですかね?
コントロールの放棄なんですよね。
難しいですかね?
例えば、僕の場合ですと、量子力学の教材って買ったことあるんですよ。
そのひとは量子力学と願望実現をかけあわせたようなコンセプトで売ってました。
教材の最後の30%が願望実現で最初の70%が量子力学の世界観を説明しているんですね。
動画教材だったんですが最初の70%だけ何度も見て、学びました。
残り3割はいらないです。
それでもそのひとのものに勝手に興味を持って、勝手に追いかけて、勝手に買ってるわけです。
でも量子力学と願望実現をかけあわせたようなコンセプトで僕は正解だったと思います。
これががちがちの量子力学だけの教材だったらいらないわけですね。
僕は学生じゃないし、そういう方向に行きたかったわけじゃないので。
いまは空、中庸、ダルマとか言ってますけど、
僕も最初からそれを言ってたわけじゃないですよね?
そこにたどり着くまでに量子力学も必要だったわけです。
色々なプロセスを得て、自分でも「おぉ!!!そういうことなの!」って感じなんですよ。
わかります?
最初から、
「空と中庸とダルマにたどり着きたい。
だから理想Dは空と中庸とダルマに設定しよう」
としてたわけじゃないですよね、これ明らかに。
ということは理想Dはもっと曖昧だったわけです。
でもそこと波動的につながっていたから勝手にそこに向かっていったわけですよね?
なにを表現したいのかわからないままやってるわけですよ。
あとから「これやん」みたいな。
完成してからじゃないと表現できないなら
一生完成しないし、一生表現できないよ?
うーん、なにが言いたいんでしょう?
つまりですね、
勝手に無意識に動くプロセス舐めんなってことですね笑
こういうのがみんなが欲しい、導きってやつじゃないの?
これが摩擦や抵抗がないダルマってやつじゃないの?
難しいですかね?
また、この記事のタイトル見てみ。
呼吸とメンタル
って導入にしか使ってないよ?笑
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