イキトシイケルモノスベテニツグ

あなたの成功を妨げている根本的な問題

人間は生まれついてのエゴの天才チャネラ―である。

それだけが唯一の「声」だと思っている。

エゴを自分だと思っている。

常にその周波数を身に纏って
それを自分だと思っている。

外側にエゴの周波数があってそこに周波数を合わせてチャネリングしてるどころのレベルではない。
身に纏っている。
だから強力にそれを自分だと思っている。

 

天はあなたの覚悟を見ている。
本当に自分を変えたいと思っているのかという覚悟の継続を見ている。
覚悟は一度したらいいわけではない。
覚悟は毎瞬毎瞬問われている。

好転反応がでてくることだってあり得る。

 

「いままでの自分」という状態-元に戻らないように
つまりホメオスタシスが発動しないように、
変化とはゆっくりの方が好ましいと天は思っている。
時間というプロセスは無視できないと考えている傾向がある。

だが人間は即効性と魔法のようなものを求めていることも理解している。

本当に即効で変わってしまうものがあったら死の恐怖を感じるくせに
なぜに矛盾するようにそれを求めるのだろうか?

それはなぜだろうか?

苦しいからだ。

人間の苦しみには限界がある。

物質的に逃げようとすると様々な依存として逃げようとするだろう。

苦しみは好ましくないもので、
快楽は好ましいものという本能に刻み込まれているからだ。

本能とはなんだろうか?

 

脈々と受け継いできた自動反応するプログラムだ。

 

エゴだ。

 

それを自分だと思っている。

 

その声につねに従う。

 

それが唯一の声だからだ。

 

それは

 

「こんな簡単などうしようもない方法になんの意味がある?

肉体は癒えないではないか。」

と、容易に誘ってくる。

 

肉体はエゴの最終兵器だ。
強力にもとの自分に引き戻す。

 

その声を邪魔だと思う必要もない。

過剰に反応する必要もない。

泥は落とせばいいだけの話。

そんなに難しくない。

 

まずは自身を徹底浄化してください。
器の浄化
自身を神が宿る神殿化してください。

泥の中には舞い降りれない。

泥から蓮台を咲かせてほしい。

浄化系はエッジが効くように様々な部分部分で用意してあります。

どうか自分が自分だと思っている周波数に引き戻されないよう

毎瞬の覚悟を問う

 

文句が出ることもあるだろう。

怒りに任せてぶちまけてくれてかまない。

すべて受け入れよう。

だがやめてしまったらもうなにもできない。

 

魔法でないことを申し訳なく思う。

魔法のように苦しみをとってあげることができず申し訳ない。

 

魔法とはなんだろうか?

苦しみとはなんだろうか?

快楽は良いもので
苦しみは辛いもの。

ポジティブは良くて
ネガティブは悪いもの。

この原初的なジャッジはどこから来るのだろうか?

このジャッジを外すことはできるんだろうか?

苦しみとは何だろうか?

魔法とはなんだろうか?

このジャッジがないことではないだろうか?

 

ひとは神にはなりえない。

原初存在という原因(神)にはひとはなりえない。
あなたはそこから生まれた結果にすぎない。

「我、神なり」にはなりえない
かみなり
神鳴り
神から鳴った結果にすぎない。

「我、神なり」

「我、神の子なり」

で、そんなに大きく違うのか?
「神の子は神のすべてを受け継いでいるから神の子なんでしょ?
なんの違いもないよ。
そんな言葉尻取るなよ」
って思う方もいるかもしれない。

だが、そのわずかな違い、「傲慢」がこの世界を生んでいる。

我々はアルコーンの分霊なので
アルコーンと同じ境地・高みを目指して進化しようとする。
それは「我、神なり」である。

アルコーンは自分を唯一の神だと勘違いしている。

その傲慢がこの世界を生んでいる。

我、神なり

我、神の子なり

これは言葉尻だけの問題だろうか?

この傲慢がこの世界を生んでいるのに。

原因か結果かというほんのわずかな差だ。
この勘違いが、このゲームを生んでいる。

このゲームに留まるつもりなら修正しなくてよい。

このゲームに留まるつもりがないのならこの傲慢さは留意すべき点だ。

 

なので、

 

基本は浄化です。

余計なものを身に着けて自動で動いてるなら
浄化してください。

それが「もとにもどる」です。

そちら側に勝手に向かっていくようにホメオスタシスが発動、
自然治癒力が働くといいですね。

 

上という天道に向かっていく発達ではなく、

横にシフトする。

そのあと上に向かってください。

 

もともと穢れていたから浄化するのではないです。

もともと穢れていないから浄化するのです。

 

ダルマという人生に対する抵抗や摩擦のない自然な流れ、

その流れに宝船という中庸の神を携えてともに進む人生。

それが浄福です。

それがエンディングです。

エンドロールは長くて7年しか持たないでしょう。

肉体をもって浄福を生きられるのは長くて7年です。

 

死の恐怖を感じましたか?

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