昔はセクハラぐらいしか聞いたことなかったですけど、
今の世の中、ハラスメントだらけで、
ハラスメントの種類が多すぎて、
もうハラスメントの定義って
自分にとって気に入らないことはすべてハラスメントとして処理する
ってぐらいハラスメントだらけな気がしますけど、
これってその場で自分で解決する能力がないってことですよね?
自分で解決する能力がないから
ハラスメントとして追いやって解決した気になるわけですよね?
はい、この指摘は何ハラスメントですか?
スピリチュアルって人間を白痴にするための戦略だと思うんですよね。
自分のことを自分で解決する能力のない繊細さんを
スピリチュアルに誘導して、
ポジティブシンキング
ノージャッジ
ネガティブは悪
として、自分自身のことを知れないようにするためのフタとしての機能が
昨今のスピリチュアルですよね?
このゲームからすると
まことに都合の良い方向に人間を進ませてるわけよ。
でも繊細な乙女(心が)たちからしても都合がよいわけです。
自分を傷つけるものがないふわふわした無条件の愛が
スピリチュアルが目指す最高の愛なのだから。
無条件の愛、最高です。
自分にとって都合のいいものだけを「えぇよえぇよ」と受け入れ
自分にとって都合の悪いものも「えぇよえぇよ」と受け入れてくれる。
最高の愛ですね。
史上最高の堕落と無関心の愛ですね。
なんでもえぇよえぇよと受け入れる無条件の愛って。
でも人間はその無条件の愛が、愛の最高到達点として
それを目指すわけですよね。
それこそが愛だ、と。
すべてをゆるし、
すべてを受け入れ、
愛する。
これが愛の最高到達点
この世界の神がまさにそういう愛の神であって
我々はその分霊だから、当然そこを目指しますよね?
これがこの世界の愛
これがこの世界のスピリチュアル
以前に、無条件の愛の世界、うてなの世界に、
自分の心の闇を見せられるぐらいなら知らない方がましだ。
そんなおぞましいものを見せられるぐらいなら
多少の苦しみを受け入れてずっと苦しんでる方がましだ、
みたいなこと書きましたが、
いまならこの意味が多少はわかるだろうか?
誰かに何かを指摘されることは怖いことだ、痛みを伴う。
それは死の恐怖と同じだ。
だから誰も何も言わない。
いままでの自分が壊れてしまうかもしれない指摘
そんな自分の見たくないところを見せられるぐらいなら
「なぜ願いが叶わないのか?」
「なぜ人生はこんなにも苦しいままなのか?」
と苦しんでいる方がましと思っている。
そういう人間たちの思いを叶えているのがスピリチュアルだ。
誰にも何も指摘されず自分の見たくないものは見ないで済む安寧の世界
それが昨今のスピリチュアル。
ポジティブシンキングして
ノージャッジで
ネガティブを嫌悪する。
そうすれば、そのすべてに蓋ができる。
何も知らないで済む。
何も指摘されないで済む。
無条件の愛はなんて居心地がいいんだ。
なのに
「ナノニ 何デ コンナニ 苦シイン ダロウ?」
「ナノニナンデイツマデモナニモカワラナインダロウ?」
①自分で解決する能力がないからハラスメント定義
②何かを指摘されれば即逃げる
③無視を続ける
これがいまのSNS社会。
気に入らなければブロックすればいい。
そのひととの繋がりやすさはひととのつながりを皆無にしている。
なぜなら、
人間の脳は
①闘争
②逃走
③防御
この3つしか選択肢がないからだ。
これは獣と同じ。
何かを指摘されれば逃げるのは、自分自身に心底興味がないということ。
そんなものを見せられるぐらいなら現状維持の不平不満を受け入れる。
「いまのままでいろ」という呪いを受け入れる。
こんな自己呪縛のまま一生を受け入れる。
なぜなら、
そんなおぞましいものを見せられたら
耐えられないからだ。
うてなの世界を読んだときはピンとこなかったかもしれない。
だが今なら少しは理解できるだろうか?
でもこれらは
このゲームの
この世界の
人類の
民意なのよね。
自分自身のことを知りたくないってのは
自分で自分のことをどう思っているか?というものを知りたくないのよね。
自分にかけている呪いっていうのを知りたくないのよね。
なぜそれがそんなに怖くておぞましいのか?
自分の底知れぬ攻撃性能が怖いのよ。
自分で自分を猛烈に責めていることを知ることが怖いのよ。
誰かに何かを指摘されたときの恐怖って
自分で自分を責めていることの一端を知るきっかけになるから怖いのよ。
これが罪悪感。
自分は無価値だと猛烈に責めている。
それを知りたくない。
それを知ることは死の恐怖と一緒。
自己無価値感、罪悪感、死の恐怖は
こうやってグルグル回って見つからないように守られ生き延びている。
指摘されて怖いのは自分自身で一番そう思って自分を一番攻撃してるから。
それを他者から言われるなんてとんでもない!
耐えられない。
自分自身で見ないようにこんなに頑張ってるのに。
だから自分自身を知ることは非常に難しい。
空・中庸・ダルマをより難しい。
人間は
瞑想して真我覚醒して幸せまみれで愛まみれになっても
必ず破滅するようにプログラムされてる。
りんごの木の頂点に到達しても
天上天下唯我独尊
我、創造主なり
と言ってどうするの?
「量子力学を使って自在に願いを叶える方法!」
だからなんなの?
人間はなぜ願いを叶えたいのか?
叶わなかったとき、なにを感じているのか?
自己無価値感を味わいたくないからだよね?
「自分はダメ人間だった」と打ちひしがれたくないからだよね?
だから願いを叶えたいんでしょ?
だから願いを叶えてない自分はダメで無能で無価値だって落ち込むんでしょ?
自己無価値感を味わいたくないために願いを叶えて
自己無価値感はそっとそのままにしておく、、、、
願いを叶える方法を見て、
だからなんなの?って思わない方がおかしい。
(叶おうが叶うまいが自己無価値感そのままなので)
自分自身を知るためには
この破滅プログラム=運命を動かしている車輪から
逃げるわけにいかないわけよ。
逃げても構わないけど。
見えるように準備が整うまで待つしかないよね、何万年も。
時間を短縮しようと思わないひとは仕方がない。
おぞましいものとは自己無価値感を持ってして
自他を猛烈に責める気持ち、
これを知ることは死の恐怖に等しいぐらい怖い
人間の闇というのはこれのことなんだけど、
本人が見えない暗いところに隠してるだけで
何も闇じゃないんだけどね。
門構えの奥に音だけしてなにも見えない。
見えないけど音はするから確実にある。
どんなにうまく隠してもあるもんはある。
なぜ隠したいのか?
人間は猛烈に自分が嫌いだっていうこと。
自己愛のなさ、ただそれだけ。
それを知りたくないから、愛ぶりたい。
スピリチュアル的自分でいたい。
でも指摘されれば逃げる。
愛ぶりたいだけで、
そんな指摘とか勝手にしてくるような攻撃的なやつは愛ではないと断罪したいし、
自己無価値感を見て見ぬふりをしたいだけだから。
人間とはそういうふうにできている。
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