以前も
遥か以前も書きましたが
フィーリンググッドは良いもので
フィーリングバッドは悪いもの
っていう原始的ジャッジを外せるのか?って話です。
脳は物事を一瞬で快・不快を判断するわけです。
フィーリンググッドは良いもので
フィーリングバッドは悪いもの
と。
こないだですねぇ、道端歩いてるときにですね、
「あぁん!?まったくもうこいつら好き勝手言いやがって。
死んで償え!!」
って心の中で叫んでたんですよ。
「あーー、、、強制アトーメント」
「あーーーー全然効かねぇじゃねぇか!あー?うん?殺意どこいった?」
「しまった。もうちょい深堀りしとけばよかった。もったいない」
と一瞬で殺意なくなったのはどうでもいいところで、
殺意が出てきたけど、
殺意がなんなんや?
ってのが話のポイントで
殺意が出てきたから
「私にはまだまだ浄化が必要だ」
と
さらに自己無価値感というジャッジを重ねる必要はなく
殺意が出てきたから
「必死に癒さないと!」
「もっともっと癒さないと。どうしてこんなに癒してるのに癒されないのか。」
っていう癒しの動機が恐怖になってしまってるのよね。
ってところなんですわ。
いや、ついこないだ書いたか?
で、
いい気分や喜び、感謝の念は癒しの対象にしないんですよね?
これがフィーリンググッドは良くて
フィーリングバッドは悪いものっていう
扁桃核的原始的ジャッジ
物事を一瞬で快・不快を判断する脳を
あなたは超えることができるか?
自律神経を整え、 自律神経を乱すストレスさよなら。
ストレスとはなにか? どこから生まれるのか?
現実に起きていることと、意識のギャップがストレスだ。
理想、こうあってほしかったという意識と現実のずれがストレスを生む。
それは現実が間違っているのだろうか?
いや、違う。
意識や理想が間違っているんだ。
修正すべきは理想を生んでいた意識だ。
「現実を受容する、ポジティブに考える、なんでもウェルカム、起きているこの現象に感謝」
いや、違う。
それらをするとまた現実と意識のギャップでストレスを生む。
ストレスを感じ、
ギャップを埋めようとしてポジティブに考えたり、
感謝したり、すべてを受容したのかもしれない。
だが、それはまた違うストレスを自律神経に与えている。
顕在意識でポジティブに考え、感謝し、すべてを受容しようとしても
意識の大半である潜在意識はそんなことは考えていない。
そもそも最初のギャップを生んだ意識が潜在意識なのだから。
潜在意識を癒さないと現実と理想のギャップによるストレスは生まれ続ける。
ストレスさようなら。
いうのは簡単だ。
実際は意識のすべてが空であればギャップは生まれない。
ストレスさようなら
なにとさようならしているかわかるだろうか?
何かを癒そうと思った感情の原因が「恐怖」だということに気づけ。
一番最初だけそれは仕方がない。
人間の恐怖には限界があるからだ。
だから恐怖から抜け出したいという恐怖を動機に何かをするのは致し方ない。
だがそれが最初で最後だ。
恐怖(エゴ)は自分の恐怖に耐えられないから自ら死を選ぶ。
そのプロセスで生き残ろうとする。
人生の理想がある。
まだまだそこに自分はいない。
なにかしなければ。
どうにしかしたい。
苦しい。
理想と現実のギャップから、
恐怖からなにかすることでギャップを埋めようとする。
その動機は恐怖だ。
理想と現実のギャップ。
理想が間違ってるから、修正すべきは理想なんだ。
そのギャップがストレスを生んでいる。
ABCDで
Aの現状でなにをしようとも
いまと大して変わらない未来Bが生まれ
理想の未来Dに行きたいなら、
いまの自分をCにエネルギー準位に引き上げるしかない。
この矛盾がわかるだろうか?
ストレスを生む原因が理想にあるのに、
理想を設定するならいまの自分のエネルギー準位をあげろとは。
欲を捨てずに
神聖と欲のあいだが中庸なんだ。
コメント