れんだいうてなの世界

世界の秘密

2023年2/19更新
2023年1/3更新
2022年12/31更新

神は二人います。

グノーシス主義に則ってその二人の神の名は
アイオーンとアルコーンとします。

アイオーンが一般的に言われている全知全能の愛の神

アルコーンが自分の出自を忘れて自分が唯一の神だと勘違いしている偽の神
この世界の創造主です。

我々はそのアルコーンの分霊です。

自分の出自を忘れています。
自分が何者なのかわかりません。

この世界の頂点まで”修行”するとみな一様に同じことを言い始めます。
「天上天下唯我独尊」
つまり「自分より尊いものは存在しない、自分が創造主だ」と。

アルコーンと同じことをいいます。

自分の出自を忘れて自分が創造主だといいます。
アルコーンの分霊なのでまったく同じところに行き着きます。

この世界は完全にそこを目指させています。

 

この世界には他者が存在しています。

私もあなたも創造主
だから、現実は思いのまま。
みんな創造主

これが八百万の神々です。

あなたも私も神。ぜんいん神です。

本当の神である艮の金神は東北に封印しました。
「炒り豆に花が咲くまで出てくるな」という封印をかけました。

炒られた豆から芽が出ることはないので花は絶対に咲きません。
永遠に出てくるなという封印です。

その風習が節分です。

自分たちが神々・創造主をやるから本当の神は出てくるなという封印の儀式です。

 

自分たちが神であり創造主をやるから本当の神のことは忘れるということです。

私たちは神がいるんだかいないんだか、科学的に証明できるんだかできないんだか、
本当の神のことは忘れてしまいました。
各々の信仰心のなかにしかいない。その程度のものになってしまいました。

 

これでアルコーンの世界ができあがりました。

その世界には苦しみと欲望、混沌が満ちていました。

 

アルコーンの世界はたいへん生きづらいのでアルコーンの世界にも救いを用意しました。

ですが、アルコーンはそもそも救う気がない創造主です。
アルコーンはこの世界を存続させることが目的(自分が唯一の神でいること)なので
救われると思わせておいて結局救われないという方法を数多く用意しています。

このアルコーンの世界の中で”救われても”しかたがないのです。

救いとはアルコーンの世界から脱却ということになります。

この世界は天道を目指すことによって救われようと思っています。

天道とは

六道輪廻のなかの地獄の一つ
魂という根源的欲の殻をやぶれずに願いを叶え、
あらゆる願いを叶えても心は虚しいままという
自己超越欲求が満たされない状態に心が陥っている。

とのことです。

 

なぜひとは願いを叶えたいのか?
それは幸せになりたいからです。
人間は根源的に幸せになりたいと思っているから
願いを叶えれば幸せになれると思って願いを叶えようとします。

あらゆる願いを叶えられることにあこがれを抱き
天道を目指します。
自分が創造主であること、
どんな願いもすぐに叶えられるのを思い出す道を目指します。

天道は思ったことがすぐに叶う世界です。
すぐに叶うし、どんなに願いを叶えても
心の虚しさはなくならないという地獄が
天道です。

人間は幸せになりたいので、
「幸せになるためには願いを叶える必要がある、そうすれば満たされる」

願望実現
引き寄せの法則
潜在意識の書き換え
思考は現実化する
神社めぐり
他にも様々なテクニックが独自に存在し

色々な手法が用意されています。

 

ちなみになんで八百万の神々が神に戦いを挑んで封印したのかっていうのは
神の意志以外になにも存在してなかったからなんだよね。

それがあまりにも”横暴”だと思ったため
別の意志の抱いてみたいと
人間皆バラバラの意志を抱くという願望を叶えたのです。

とある王が自分の意志と同じものだけを抱くように民に強制することができたら
民はきっとそれを”横暴”だと思い、革命を起こしますよね?

みなが創造主でみながバラバラの意志を抱くという分離が起きましたとさ。
めでたしめでたし。

 

アルコーンは救う気のない神です。
ずっと自分が唯一の神でいられる場を壊したくないので
本当の神の「不変という永遠」を模して

「悠久の時という疑似的な永遠」を作り出しました。

時間という概念でずっと繰り返し遊べる、
輪廻し続けられる無間地獄というゲームを作り出しました。

「救い」と「救われない無間地獄」を両立させるにはどうしたらいいのか?

人間は誰もが幸せを求める、幸福になりたいと願うようにデフォルト設定しました。
”幸福が何かもわからずに”ただ幸せになりたいと「救い」求めるようにしました。

幸福を求める欲求の根源の裏側に
輪廻し続ける根本である車輪、
自己無価値感・罪悪感・死の恐怖
この3つを見ない、気づかないようにするために
ただ「幸福」を求める、
幸福が何かも決めずにただ求めるという衝動のまま生きられるように
その裏に隠しました。

これで幸福を求める、「幸せを求めれば幸せになれる」という謎の救いと
「人間の結局は幸福になれない」という裏の3つの設定が完成したので

救いと無間地獄の両立が可能になりました。

 

これで
「なぜひとは願いを叶えたいのか?
それは幸せになりたいからです。」

に戻ってきました。

脳内の「こうなれば幸せ」という理想を叶えれば幸せになれると思うから
ひとは願いを叶えたいのです。

人間の欲求を叶えたいという衝動は六道輪廻と繋がっており、

六道輪廻はあの世に行った後の魂の状況のことではなく、
この世での魂の状況の事を指します。

欲求を叶えると次の段階に進んでまた別の欲求を抱くという階層構造を取っています。

最終的には天道という
あらゆる願いを叶えても心は虚しいままという
幸福が何かとは決めずに幸福を求め、願いを叶え続けると行き着き
魂はスメアゴルのように貧弱なものになる

その願望実現力から
「自分より尊いものは存在しない、自分が創造主だ」
というメッセージとともに、
「振出しに戻る」という言葉が添えられていることも知らずに
人間はデフォルト設定のまま幸福を追い求めます。

この世界は完全にそこを目指させています。

なぜなら天道まで登り詰めて
極端な愛を体現し、
極端な願望実現をしても
輪廻の根本である3つの裏設定に触れてないからです。

表側の幸福を求める欲動に従い
裏の設定を見ようともしなかったからです。

 

人間は常に現状維持を望みます
人間は常に変化を求めます
「私はつねに変化を求めているから現状維持を望んでいる人間には当てはまらないな」
と勘違いします。

ほとんどの人間が「自分自身は現状維持」を望みながら
「外側を変えよう」と求めているからです。
だから永遠にそのままで苦悩し続けられるようになっています。

自分自身を変化させようとは求めますが、望んでないのです。

なぜなら、死が怖いからです。

生きながらにして生まれ変わるとは
単純にいままでの自分に死んでもらうということです。
死の恐怖と同じです。
しかも生きているうちに人間は
3度生まれ変わらないといけないらしい。

故に、

絶対に、

自分自身が変化するものには手を出しません。

 

なぜなら、死が怖いからです。

 

絶対に

自分自身を変化させないものには喜んで手を出します。

なぜなら、
現状維持を望んで、
変化を求めているからです。

「(これだったら自分を変えることができないから安心して手を出せる)
今度こそ私、変われる!」

とかっこ内の潜在意識の声には気づかないで
変われると思い込んで喜んで手を出すわけです。

なぜ人間は現状維持を望むんでしょうか?

死が怖いからです。

「(いままでの自分に死んでもらうなんてとんでもない!)
(そう!現状維持でいいの!)だって私は本気で変化を望んでるんだもの!」

という矛盾が平気で起きていることなんかすぐわかるような心の動きをしてるのに
それさえわからずに。

 

本気で人間の心ってこうですよね。

これを維持させているのが
輪廻の根本である3つの裏設定の内の1つ
「死の恐怖」ですね。

「死の恐怖」は欲望のついにもなっているので、
死の恐怖がある限り、
死の恐怖を見ないようにするために

「なにかを望みます」

「なにかを欲しい、叶えたい」

と思います。

現状維持を望んで変化の求める

願いを叶えたいと望んで幸せを求める

 

はて?

あなたの願いが叶いづらいのはなぜだろう?

現状維持を望んで変化を求めているからですよね?

 

はて?

 

なぜ願望実現を望み幸福を求めるのでしょうか?

死が怖いからですよね?

 

少し前にこう言いましたね。

 

幸福が何かとは決めずに幸福を求め、願いを叶え続ける

「幸せを求めれば幸せになれる」という謎の救いと
「人間の結局は幸福になれない」という裏の3つの設定
(3つの設定とは自己無価値・罪悪感・死の恐怖です)
のうちの一つが

どうやらこれが完成したみたいですね。

ここで死の恐怖を克服しろなんて言いません。
もちろんです。

 

「死の恐怖を克服しない限りあなたは一生変われません。」

んなこたぁーない

最初の一歩はそれに気づくだけでいいんです。
(死の恐怖の克服は一番最後やしねぇー)

 

あなたが幸福を求めるのは
死が怖いからです。

あなたが現状維持の望むのは
死が怖いからです

あなたが願望実現を望むのは
死が怖いからです。

あなたが変化を拒むのは
死が怖いからです。

 

さぁさぁさぁさぁ、
分離した神々よ、

いまこそ自分の出自を思い出せ。
それを妨げているものすべてを取り払え。

あなたは自分の出自を忘れ、神から分離したことに罪悪感をおぼえている。
罪悪感とはなんだろうか?
自他を責める気持ちだ。
猛烈な怒り、
「おまえは罪びとだ!」と自他を責める気持ち。
自分に直接被害を被ったわけでもないのに
「おまえは罪びとだ!反省しろ、一生その咎とともに生きろ」という
猛烈な怒り、罪悪感だ。

罪悪感のないものは自他を責めることはないだろう
罪悪感は「正義」に転換されやすい

本人は罪悪感だと露知らず、正義の執行だと思っている。

なぜあなたは自他を責めるのだろうか?

自分の出自を忘れ、自分が何者なのかわからないという分離を選択すると
大いなるものから離れ別の意志を抱き
自らを創造主と名乗ることに原初の罪悪感を抱く。
堕天に罪を感じる。(炒り豆に花が咲くまで出てくるな)

これで3つの裏設定のうち2つめの完成だ
(2つめと3つめはほぼ同時に克服される)

そんな自分に価値はないと自己無価値と同時に自分を責める。
罪悪感を抱いている。
(1つめと2つめはほぼ同時に存在する)

なぜあなたは自分に価値がないと思うのだろうか?
自分が罪びとだという罪悪感を負っているからだ。

死の恐怖を感じるから死ぬという咎を負っている。(?)

これで3つの設定の内1つめの完成だ

これで3つの裏設定と
「幸福を求めれば幸福になれる」というわけのわからない設定ともに
完成だ。

これで人間が幸福を定義できない理由がわかっただろうか?
幸福を定義してしまったらこの3つの裏設定に気づかなければならないからだ。

そんなおぞましいものは見たくないから、
幸福を求めれば幸福になれることにしなければならない。

人間の幸福とは裏の3つがないことだ。

それがないとはどういうことか。
空・中庸・ダルマだ。

「いや私は自分の幸福を定義できるよ」
「あれがあって、これがこうなってて、あれがないことよ」

それは幸福の理想的イメージかもしれない。

あなたがそうなりたいのは死の恐怖からだ。

あなたが願いを叶えてそうなりたいのは自己無価値からだ。
(死の恐怖じゃなくて?)
そうなれない自分を責めたくない罪悪感からだ。

そして自分ではない誰かがそうなっていたらその人をうらやむのは罪悪感だ。
そんな自分を責める自己無価値だ。
このまま何も人生でなせない、なにもできない死の恐怖を感じる。

この3つがある限り人間は幸せになれない。
この3つを知らない限り人間は幸福を定義できない。
この3つが「ない状態」を想定できない。

気づいていなければ永遠に見逃し続けられるようになっている。

それは「幸福を求めれば幸福になれる」という盲目のおかげだ。

人間は盲目に幸福を求める。
それは3つの裏設定があるからだ。

だがその3つがある限り、絶対に幸福になれない。

当然だ。
グルグル回っている。

生きている間も、
死んだ後もこうしてグルグル回れる。

悠久の時という永遠の時間をグルグルできる。

理想的だ。
理想的システムだ。

 

過去、過去性と自分のものだけではなく、
先祖からのツケもすべて一身に負っている。

転生何回分だろうか?

先祖を合わせると何万年分の周波数だろうか?

それをあなたは今世だけでなんとかしようとしているのだろうか?

1日で魔法のように変えてほしいと願っているのだろうか?

 

死の恐怖を克服したかい?
「あーこれを受け入れたら自分はもう死んでしまうだ本当に、、、」
というあの死の恐怖は克服したかい?

ではあなたにはもう魔法は必要ない。

なんというパラドックスか(笑)

 

中庸とは「思考」ではない。

知識がたくさんある人は
空・中庸・ダルマって聞いたときに、
それが大事ならそういうふうに生きようと思って、

「欲をなくしてできる限り空で生きよう。
何も望まず、中庸で生きよう。
カルマを生まず、解消していけるようにダルマを生きよう。」

と思考や考え方でそれをどうにか生きようとするのかもしれないが

空や中庸、カルマの解消は、
行動や思考ではない。

存在そのものです。

中庸でいるには世界に反対側を生み出さないようにダルマでいないと不可能です。

ダルマでいるには空を自分に流せないと不可能です。

 

 

てか、人間は生きているうちに3度生まれ変わらないといけない、
それを三途の川を渡るって意味とは聞いてたけど

自己無価値感
罪悪感
死の恐怖

これを1個ずつ克服するたびに生まれ変わるって意味だったのか?
知らなかったわぁー笑

 

 

 

話変わりますけど、

天曰く、2023年1/1になった切り替わりあたりの深夜に
「すべては2種類ある」

「自由に生きる」は2種類ある
「自然治癒」も2種類ある
もとにもどるの「もと」も2種類ある

とのこと。

すべてアルコーン側なのかアイオーン側なのかの違い。

どうして、輪廻システム内で修行して頂点を目指して
覚醒やら愛やらになっても終わらずにまた輪廻するのか。

すべてが2種類あるなら
覚醒体験してもそれがアルコーン側ならアルコーンとの一体なんじゃないか。

愛を深めて愛そのものになってもアルコーン側の愛体験ならなんの意味もないのか。
「自分以外にはなにもない」ということで終わるのか。

アイオーン側の覚醒でもとにもどるようにそこに自然治癒していくようにしていかないとならないのか。

アルコーン側の「もとにもどる」は現状維持の自分にホメオスタシスが発動する。
アイオーン側の「もとにもどる」は生きてるだけで空に戻るように自然治癒が発動する。

アルコーン側の自然治癒は病気やケガがある程度治るがエーテル体や感情体などの設計図を優先してその状態をからだに物質化する。
(精妙体がぶっ壊れていればそれに従い肉体もぶっ壊れる(病気になる))

アイオーン側の自然治癒は上位エーテル体や感情体などに復元されその設計図通りにからだが従う。

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