スピリチュアルジプシーというのはなぜ存在してしまうのでしょうか?
たとえば、こういう人がいたとしましょう。
スピリチュアルジプシーしてしまう
なぜ?
→結局なにも変わらないから、今度の方法だったらいけるかもと思えてしまう
なぜ?
→色々顕在意識でやってきたけど、深いところにアプローチできてなかったかもしれない
なぜ
→愛とか空とか悟りとか言葉の持つイメージに憧れて迷走してきた
という方がいたとして、これって色々なことを明確にしてなかったからですよね。
それは
どう変わったら、スピリチュアルジプシーしないで済むのか、
どうなりたいのか?という目的地を決めてないまま彷徨っている、
明確なゴールがないから当然行き着けない、ということに尽きますね。
愛・空・悟りとかの言葉の持つイメージに憧れて迷走し、
愛・空・悟りをぼんやりイメージだけ持っていて、それを明確にしなかった。
明確にしないままどうやって行き着くのか?
「いつかたどり着くものだろう」と曖昧にしているからずっとジプシーし続けられる。
なのでどこに行きたいのかをまず明確にしないとならない。
さらにその手段を明確にすることによってジプシーという彷徨いをやめることができると結論付ける。
では前々回明確にしていましたが、おさらいしていきましょう。
愛、空、悟りは明確に言語化しました。
悟りとは
「もとにもどる」ことと定義する
そう定義したらどうやったら「元に戻る」のか?という手段を考える。
元ってなんだ?
元とは愛で、空だと定義する
では自分を元に戻す、愛と空にするにはどうしたらいいか?
という手段を考える。
空とはなにか?と考える。
すべてにしてなにもない状態、故にあらゆるすべて。
すべてが存在しているなら互いに打ち消しあっている。
だから何もない。
空という目的地が分かったのならその手段は、
逆位相で自分の持っているすべての周波数を打ち消しあうこと。
そうすれば、自分の保有している周波数はすべて空になる。と考える。
愛とはなにか?と考える。
愛とは慈愛と峻厳(しゅんげん)という厳しさの中庸
両方ないとひとは育たない。
ずっとあまあまに育て切った子供がどうなるのか?
ずっと厳しく育て切った子供がどうなるのか?
その真ん中が重要だと考える。
愛とは、慈愛と峻厳の中庸だとわかる。
では中庸とはなにか?と考える。
世界に反対側(カルマ)を生まない者。
相手の意見と自分の意見の中庸を見つけられる。
自分の意見を押し通すだけでもなく、
相手の意見をただ受け入れるだけでもなく、
どちらでもない中庸の智慧者。
中庸とは世界に反対側、つまりカルマを生まない存在
そして自分と他者の意見の中庸という智慧を取れる者という2つの側面がある者と考える。
カルマとはなにかと考える。
カルマがあると輪廻するという。
カルマが邪魔だな。と考える。
カルマのない状態、カルマを生まない生き方とはなにかと考える。
それをダルマというらしいと知る。
ダルマとはなにか?
カルマの対義語。カルマとは人生に対する無意識の抵抗や摩擦のパターン。
運命の輪という人生の車輪が三毒から転輪聖王に代わっている状態。
人生に対して抵抗や摩擦のない状態=ダルマ
カルマがない状態。
無意識に自身を幸せにしない思考・言葉・行動パターンの解除。
つまり生きづらさがない状態。
人間はなぜ、人生を生きづらいと感じるのか?と考える。
それは潜在意識・無意識に自分を幸せにしないエネルギーパターンがあるから。
人生に対して抵抗や摩擦を感じている、それは過去性や今世の過去、カルマによって生まれている。
では、それらをなくすにはどうしたらいいのか考える。
潜在意識にエネルギーパターンとしてそれらが保有されているならエネルギーで解決するのが道理。
エネルギーの問題をエネルギー以外で解決するとか不可能じゃね?と考える。
自分の中に人生を生きづらくしている無意識の抵抗や摩擦とはなにかと考える。
いわゆる心の闇をどうやってみつめられるのか。
それは人間関係に投影として現れるとわかる。
自分の抱えている心の闇は他者に「なすりつける」ことによって、
自分の中に闇はなく、
それは外側にある、
外側に原因がある、
外側のせいにすることができる、
自分の中に見ないで済む
という心の動きがあることに気づく。
これを投影というのかと知る。
「あれがキライ、あのひとが気に入らない、あのひとだけは許さない」
これが人間関係にあるということは投影しているということ。
自分の心の闇を他者に押し付け、「あいつが悪い、あいつが変わるべき、あいつが理解できない」と
他者に原因を求めている。
それをやめて、心の闇を癒すにはどうしたらいいのかと考える。
全世界80億人全員と仲良くするにはどうしたらいいのかと考えると途方もないので、
人間は自分を含めると9つのひな型・テンプレートが存在すると知る。
その9つすべてを投影することなくうまくやれれば
全世界の人間とうまくやれる、投影するものがなくなるのだと考える。
いままで苦手な人、嫌いな人が多かったのに、 誰とでもうまくやれる人間になったとき、
「あれ?あたしってば、 けっこう人間としてのレベル上がったかな?」 と自分で思うものじゃないですか?
ということは人間関係をうまくやるために
心の闇を知るにはどうしたらいいのか?と考える。
どうやら一番最初にやるべきは
自分自身を知ること=自分の心の闇を知ること、
そしてそれを癒す方法を知ること、
自分がいまどういう状況なのか、どの段階にいるのかという自己理解が大切だと知る。
自分を癒す方法を、色々ヒーリングを習ってみたら、
ただやみくもに自分を癒すとかそういう方法論ではなく、
どうやったら自分を癒すことができたといえるのか?と考える。
目的地に連れて行ってくれる方法論、癒しの方法なのかと考える。
自分をすべての周波数を、すべてにして打ち消しあっている空にする方法が癒しの方法として兼用されているとなおよいと思い知る。
ただ癒すだけじゃなくて、自分を逆位相で空にしていくものがよいということ。
でないと世界に「癒されたい」という反対側を生み出してしまう。
すべての人間のテンプレとうまくやれるようになると
蓮台になってそこに神仏が空から降ってくるらしい。
サイキック能力とは自ら獲得しに練習しにいくものじゃなくて、
自己理解とともに勝手にできるものになると知る。
さて、みんなね、こういうふうに
目的地から逆算してなにを手に入れていけばいいのか明確にしてないまま
このゲームに挑んでるんですよね。
それもそのはずでこのゲームのルール説明、誰もしてないのに参加してるみたいな感じですからね。
なので各々、いきなり、自分や他者を癒す方法としてヒーリングをなんとなくよさげだから
習ってみようとか、
チャネリング能力があれば、自分の道をもう迷うことなく明確な指針があって進んでいけるだろうとチャネリングを習ってみたり、
右脳開発がいいと聞けばヘミシンクとか能力開発してみたり、
いい気分になって波動を整えると願いが引き寄せられるのかとそれを一生懸命やってみたり、
ポジティブシンキングっていうのが大切らしく、
そもそもものごとにはなんの意味もないから、
ポジティブに自由に捉えるとかがいいのかと聞きかじったので
すべて主観的なものの見方になってポジティブバカという空気読めないやつが誕生したりとか
言葉が大切だからとアファメーションという手段を講じてみたり、
イメージが心の言語と聞いたのでイメージで引き寄せをやってみたり、
願望実現して、願いを叶えれば幸せだから、願いを叶える系の方法論に走ってみたりとか、
はたまた、
願いという欲やエゴはよくないからそれを手放そうとするフェーズに入ったりとか
でも願いや欲やエゴをぜんぶ捨てるとか無理じゃね?
清貧とかありなん?と疑問に思うフェーズに入ったり、
「結局どうしたらいいのかわからん、ただ何も変わらなかったということだけはわかる。。。」
というフェーズに入ったり笑
どこに行きたいのか明確にしてないから
あれやったりこれやったりと手段があっちこっちいってジプシーするわけですよ。
ライアーゲームの秋山さんがよく言ってましたよ。
「このゲームには必勝法がある」って。
必勝法を編み出すには、ゲームの明確なゴールを決めてないと必勝法編み出せなくない?
どうやったら勝ちなの、この人生というゲームは?
どうやったら終わりなの、この人生というゲームは?
行き着いた先に「振出しに戻る」って書いてある輪廻を終わらせるにはどうしたらいいの?
必勝法がわかって、そのプロセス、その最中に、
いま現段階でこれが必要だ、あれが必要だとわかって、
明確な理由とともになにかを学びに行く、受けに行くってのはぜんぜんアリです。
そのためには明確なゴールと
いま自分はどこにいるのか?という自己理解の2つが必要です。
TVゲームを始めて、最初の村にいるのに、「魔王城どこ?」ってラスボス探さないですよね?
次の村どこ?って順々に進めていくのに、
現実のこのゲームはあっちいってふらふら、こっちいってふらふらしてるから、
にっちもさっちも進めないでジプシーしてる感があるんですよ。
それは自分がいまどこにいるかわからないのと、どこがゴールかわからないからですよね?
まずですね、いまあなたがどこの段階、どこにいようともですね、
輪廻してる時点で①からなんですよ。
①自分の心の闇を知る
(これだけだと自分を自分でジャッジしてしまって余計苦しくなる)
https://youtu.be/oMQSlm2Kt5k
②なので自分で自分を癒す方法を知る
(可能なら自分を癒す=空にしていくという目的に適った手段、ヒーリングが理想)
③人間関係の投影をなくすぐらい自分を癒していく
(なぜなら「他者」を通して自己を知れる、心の闇の投影システムがあるから)
https://youtu.be/rd1p5OXvMtE
④その過程で人間の心の闇の源泉は必ずとある3つに行き着くと知る
(その3つが人間の生きづらさの根源、それを抱えたまま幸せぶっててもちゃんちゃらおかしい)
https://youtu.be/QQuV9xvjbFs
⑤人間の9つのテンプレを踏破すると自分自身が神仏の蓮台(器)となり空から神仏が降ってくる
https://youtu.be/TkPJW_BcOwY
⑥そうすることでサイキック能力がじょじょに勝手に育っていく
⑦願望実現と本願成就の違いを知る
⑧願望実現という欲の願いを叶え続けても天道という虚しい最も抜け出しにくい地獄に心が行き着くだけと知る
https://youtu.be/TkPJW_BcOwY
⑨そのままではそこで意識指数を極めても来世は意識指数250からやり直しという輪廻は終わらないと知る
https://youtu.be/lvpaP5OvtqI
⑩輪廻システムから脱出して、成長だけがある螺旋システムに移行するには③が重要だと知る。
また③に戻ってくる。
https://youtu.be/lvpaP5OvtqI
⑪空・中庸・ダルマを実践して心の闇の根源である罪悪感、死の恐怖、自己無価値感の三つを
空・中庸・ダルマに変えていく必要があると知る。
https://youtu.be/6PrxTUM_Vk0
⑫結局その②の自分で自分を癒す方法をやり続けるしかないと知る
大まかにいうとこんな感じですよね。
もっと細かくすると各動画で色々喋ってると思うんですよね。
(すみません、動画の各リンク適当です笑)
他には
なんで輪廻システムの頂点まで上り詰めてもまた輪廻するのか、
頂点まで上り詰めるとなぜ、みんな同じことを言うのか。
なぜみんな同じ2種類の容姿になるのか。
とかね。
じゃぁ、輪廻を終わらせたアセンデッドマスターは
ライトボディを手に入れてなぜ輪廻しなくなったのか?
なにが違うのか?
アセンデッドマスターとはなにをマスターしたのか?
とかね。
自分をマスターしたってことなんですよ。
すべての144面のすべてを自己理解したからアセンデッドマスターらしいということを知るとかね。
世界は11次元で出来上がってて、
時間は未来から現在に流れてくるとかね。
あとはこの資本主義という世界を生きていくためにどうやって「お金」を作り出していくかっていう超現実的なこととかも知らないといけないよね。
スピリチュアルなふわふわしたことだけ知ってても、
あなたの魂がなにかを表現したい!って思ったのに、
時間と金がなくてそれができないってなったら、
それこそこの世に何しに来たんだよって話ですからね。
この経済システムや金を稼ぐ力とかね。両方必要ですよね。
物心両面での成功。
そこはおさえておきたいよね。
そのためにも
①と②から始めないといけないってことがこれでわかりますよね。
どこを目指すかによってどこまでやるかは変わりますけど、
「幸せになりたい」という人間のささやかな願いを叶えるためには
①と②からやるしかないですかね。
どうなりたいのか?っていう明確なゴールの設定と
今自分はどこにいるのか?という自己理解
この2つに尽きますかね。
①と②をやっていくなかで、
ポジティブもネガティブもどちらも偏りがあるので
どちらでもないもの=中庸であろうとすると
空とダルマが必要になります。
そのなかでもまず中庸を知りましょう。
なぜ中庸が大切なのでしょうか?
それは世界に反対側を生まないためです。
生み続けてる限り、死んだあとに「今の自分とは違う自分になってみたい」
とカルマ解消のためまた転生します。
輪廻システムのなかのままだからです。
では中庸を維持するにはカルマが邪魔だということになります。
カルマの解消は行動することによって解消するわけではありません。
それでは一生、転生は終わりません。
カルマはエネルギーで保存されているのでエネルギーで消せばいいのです。
カルマのない状態、ダルマを目指します。
エネルギーで消すにはどうしたらいいか?
カルマのエネルギー、周波数を自動解析して逆位相を流すことで、フラットにします。
そのためには空が必要です。
中庸→ダルマ→空
でも中庸でいるためにはダルマでいる必要があります。
ダルマ→空→中庸
ダルマでいるためには空が必要です。
空→ダルマ→中庸
です。
グルグル回ってますね。
この輪が和を生み出します。
この3つが必要です。
人間関係ですべてのテンプレの踏破には自分の心の闇を知って、
その無意識に自動反応する周波数(これもカルマという)を消して
九柱輪和(自分を含めたすべてのテンプレの踏破)を目指さないとなれません。
心の闇といっても、それはあなたとはなんの関係もないのでジャッジすることなく、
ただその周波数がまとわりついてるだけなんだなと、ただ消せばいいのです。
その闇とか周波数と一体化する必要ないんですよね。
足の指先に泥がついてて「おぉ、、なんと私は汚らわしい存在なんだ!神よ!こんな私をお許しください、、、!」ってのたうち回ってる美少年が隣にいたら、
「ナルシストの極みという病気やな」って思うとおもうんですよね。
神もそう祈られても「洗えば?」って思うでしょうよ。
でも真剣に祈ってる人ってこんな感じですよね。
そんぐらい心の闇ってべつに本人とは何の関係もないんですよね。
ただその周波数を身に着けているだけってことで。
周波数なんで逆位相で消せば?ってだけで。
これで安心して己の心の闇を知って消していくことから始めていけますね。
これらをしていかない限り輪廻システムは終わらない。
このゲームはゲームを存続させることが目的なので。
「輪廻とかどうでもいいわぁぁいぃ!!」って方は気にしないでいいです。
この世には「もう2度輪廻したくない、もう人生たくさんだ!」という思いを抱えている人間が
少なからずいるだけなので。
輪廻がどうとかまったく気にしないにしたとしても、
ポジティブバカでは幸せにはなれない。
いくら願望実現をしても幸せにはなれない。
どれほど潜在意識を都合よく書き変えても幸せにはなれない。
右から左に移動しても、
下から上に移動しても
その十字の動きでは幸せになれない。
スピリチュアル業界は、
「あなたが行きたいというところに連れて行ってはくれない」
だからジプシーしてずっとグルグル回るようになっているだけです。
だってスピリチュアル業界は
ポジティブで願いを叶えて、サイキック能力があって、承認欲求が満たされるような
生きたいように自由に生きる!というエゴ全開を推奨してるでしょう?
そのエゴ全開をスピリチュアルってあなたは呼んでるんですか?
それを最も抜け出しにくい地獄、天道っていうんです。
スピリチュアル業界がなにも救う気がないのは見たらわかりますよね?
でも願望実現と本願成就の違いがわかってないと、
また欲とエゴを捨て去る修行系とか清貧とかまた道を間違えるんですよね笑
生きたいように自由に生きるってのは2種類あるんですよ。
それが願望実現と本願成就の違いです。
頭の中で描いたものしか引き寄せられない、恐れと隣り合わせの幸福と、
頭で思い描ける以上の用意されている浄福との違いでもありますね。
ポジティブで願いを叶えて、サイキック能力があって、
承認欲求が満たされるような
生きたいように自由に生きる!というエゴ全開
と
中庸で魂の表現で美を創造し、内包する神と通じあって、
内面がダルマに統治されて
生きたいように自由に生きる!という浄福
神は二人いるわけだし、
OSも2種類あるわけです。
だから、それにともなったものも2種類あるのはわかりますよね。
もちろん前者のスピリチュアル業界も感謝だの愛だのいいますよ。
でも感謝や愛が↓↓↓これを叶えるための”手段”に成り下がってるんですよね?
ポジティブで願いを叶えて、サイキック能力があって、
承認欲求が満たされるような
生きたいように自由に生きる!
↑↑↑こうなりたいがために感謝してるでしょ?
こうなりたいがために感謝を手段として行使してるでしょ?
上記のそれを目指してるならスピリチュアル業界って自己啓発と成功哲学のあいのこみたいな感じで
まったくスピリチュアルじゃないよね。
そのくせ現実的なことはなにも教えないでふわふわしてるから
スピリチュアルっていうジャンルに分類されて
自己啓発でも成功哲学でもなく、
市場はでかいのにオカルトとそう大して変わらないかのような世間での認知カテゴリなのよね。
やれ天使だ、やれ龍が空に雲の形で写ってるだの、写真撮ったらオーブが写ってるだの
「UFOが写真に写ってる!」って騒いでる1970年代か。
50年経ってもなにも変わってねぇ。
その写真で誰が幸せになったんだ?
それをもしスピリチュアルっていうなら、世間に認知されないのは当たり前だよね。
内面と外側、物心両面での成功、愛の生き方を説くものがいたら、それがスピリチュアルだ。
霊的、スピリットの生き方、それがスピリチュアルだ。
なので結論としては
スピリチュアルジプシーってのはスピリチュアルですらないものをジプシーしてるから
スピリチュアルジプシーではないうえに
愛の生き方をスピリチュアルとするならそれはジプシー不能。
なぜなら愛は不変だからだ。
世間のスピリチュアルジプシーはUFO追いかけてる人とそう変わらない。
未確認のなにかを追い求めている。
やっと、できたねぇー
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