入口に立て

世の中には原因と結果という流れがありまして。

原因があるから結果があるんですよ。

なんか当たり前だと思ってるかもしれないけど
何もわかってないんじゃないかしら?って思うわけよ。

・ある状態を引き起こす元となったもののことを原因っていうらしいよ。

・ある状態を生じさせたことを結果っていうらしいよ。

あなたは原因と結果って意味わかりますか?

たとえば、
毎日Lサイズのポテチを5袋食べることを日課としてるひとがいました。
1ヶ月後に体重が5キロ増えてました。

このエピソードからわかる原因と結果がそれぞれなんなのか答えろ。
って言われてあなたは答えられますか?

これ、かなりむずいよ?

世の中にはジェットコースターを楽しめる人と楽しめない人がいますが、
その違いってなんだか知ってますか?

英語には便利な言葉があるんですが、
それは「スリル」ですね。

これ、日本語にはないんじゃないかな?

一番近いのは「恐怖」になるのかな?
まあ恐怖とは違うんだけど。

ジェットコースターって基本的には「安全」なわけですよね?
安全の枠内で恐怖を味わえる、つまりスリルという興奮と緊張を楽しめるんですよね?

バンジージャンプとかもそうですよね?
高いところから落ちたら地面と激突して死ぬけど、
ビヨーーンってなって助かるという「安全」があるから
恐怖というスリルを楽しめるわけですよね?

でも、そのスリル・恐怖を恐怖としか思えなくて
「ジェットコースターのなにがおもろいんや!あんなもん怖いだけやないか!」
ってひともいますよね?

これ当たり前って思いますよね?
思ってますよね?

でも本当は思ってないでしょ?

同じジェットコースターという体験なのに人によって思うところが違うんですよ。

これ当たり前だと思ってるかもしれませんが、

あなた、思ってないでしょ?

「ひとそれぞれ知覚が違うのは当たり前」、ということではなくて、
自分の知覚の方を「当たり前」だと思ってるでしょ?

つまり自分の知覚をなんの疑いもなく100%正当化して信じてるでしょ?

もっと自分の知覚を疑えよ。

あなたの知覚は結果だよ。

あまりにも自分の知覚を当たり前だと思ってるから深掘りが下手くそなんだよ。

この話を理解してないとそもそも投影の回収の入口に立ってない。

“自分の知覚は他者とは違う”ということを理解してないから
自分の知覚を疑うということができない。

疑えないからベクトルが内側に向かない。

だから投影の回収の入口に立ってない。

あなたの知覚は結果です。

「今私は困窮していて辛い。
でも同じ状況でも辛いとは思わないであっけらかんとしてるひともいるだろう。

その違いはなんだろう?

知覚は結果。
ならこれを辛いと思う原因は私の中にある。それはなんだろう?」

これ、言葉にすると物凄い当たり前に聞こえるかもしれませんが、
まず絶対やってないだろう?

あらゆるすべての感情にこの問いを出したら1日に6万回は自分に言うはず。

一回も言ってないでしょ?

6万回も実戦のチャンスを逃してる。

だからいつまで経ってもポンコツなんだよ。

まず入口に立て。

人間って不可能を可能にしようとするんだよね。
自分が何やってるかわかんないからひたすら同じこと繰り返すんだよね。

いや、それ不可能だから。

不可能を可能にするより、
可能を可能にしたほうが早くない?

でも自分がなにやってるかわからないからずっと不可能を可能にしようとしてるんだよね。

不可能だって。

でも自分が何しようとしてるのかわからないから、、、

じゃあわかったほうがよくない?!

不可能を可能にするより、
可能を可能にしたほうが早くね?

10トンの岩を素手でひたすらに頑張って動かそうとしてるよね。

亀仙流かよ。
柱稽古編かよ。

不可能って「矛盾の達成」なんだよ。
無理だよ。
諦めなよ。

でも諦められないんでしょ?
それは自分が何してるかわからないからだよ。

“自分を激しく罰したいと思いながら幸せになる”って不可能じゃない?

でもそれをやろうとしてるよ。

不可能だよ。
諦めなさい。

でもそれがわからないのは自分が何してるかわからないからだよ。

じゃぁ入口に立て。

あなたがこの世界で唯一手放さないといけないのは「苦しみたいという衝動」だけだ。

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