また同じようなことで恐縮ですが
YouTubeにこんなコメントがつきました。
何故生まれてきたのか、考えて考えて考えてきましたが、
答えを見つけたと思っても、スラッと消えてしまう…
試練の連続です。
だとしても、生きている限り、答えを求め続けるのでしょう。
というものだったのですが、そこへの返信として
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こんにちは、コメントありがとうございます。
こんな物語があるとしましょう。
むかーし、むかし
とあるうららかな春の日、二人の男が大学を卒業しました。
二人はとても似ていて、ともに成績優秀。
ともに人柄良好でした。
そして彼らはとても哲学的で
「なぜ生まれてきたのか?」を常に考えて考えて
答えを見つけたと思ってはまた考え続ける人生でした。
そんな二人が50年ぶりに大学の同窓会に出席しました。
50年経っても彼らはとてもよく似ていた。
二人ともに結婚をし
二人ともに3人の子供に恵まれ
各々に孫がいた。
でも違うところが一つだけ。
ひとりは「なぜ生まれてきたのか?と
生きている限り答えを求め続けるのだろう」と考え、
ひとりは「なぜ生まれてきたのか?」の
答えをとうに見つけていたのです。
この二人の違いはなんだったのか?
一方は人生の答えを見つけ
一方は50年経っても未だに探し続けている
あなたもこの違いはどこで生まれたのか、
不思議に思いませんか?
違いがどこで生まれるのかがわからないまま生きているのは
正直、ただの時間の無駄です。
なんのために生まれてきたのかわからないまま生きていくのと
なんのために生まれてきたのかわかってる状態で生きていくのと
どちらが効率がいいでしょうか?
「わからないまま生きていってもそれを知っていくプロセスに意味があるのよ!」
と思った人は
それは
答えを見つけたいのではなく、
答えをずっと探していたい、
ということに気づいてない時点で時間の無駄です。
なぜなら
人間というものの意識は
顕在意識
潜在意識
無意識
超意識
という階層構造をしています。
ふだん認識できる意識を顕在意識。
顕在意識にとって
潜在意識・無意識は普段なにを思っているのか
とてもわかりづいらい構造を取っています。
つまり
”人間は生まれた時から自分自身のことが分からない”
と生まれついての設定で
生きていかなければならないということです。
このことをわかっている状態で探すのと
このことがわかっていない状態で探すのでは、
顕在意識が顕在意識だけを探しているのと
顕在意識が潜在意識・無意識・超意識と
深いところまで探しに行けるのか
という違いがでてきます。
ふだん顕在意識は顕在意識の事しか認識できないのです。
ではどうやったら深い意識の事がわかるようになるのか?
このことがわかっていなければ、
宝物は深淵にあるのに
顕在意識という浅瀬だけを探し続けても
一生、見つからない。
という状態になります。
この”一生、見つからない”を回避するためには
投影というシステムを理解しなければなりません。
投影したときのみ、
潜在意識・無意識がふだん考えていることがわかります。
正直、投影を理解していないのなら
生きていても時間の無駄だと思います。
なぜならただただ投影していることにも気づかずに
ただただ投影してるだけの人生で
なにもかもが「ひとのせい」で終わる人生だからです。
それは当然、どこを探しても見つからないでしょう。
ですが、投影を「理解」しただけでは
なにもわからないようになっている防衛システムが
そこに隠れていることに
あなたは気づいていますか?
人間は自分自身のことを
見ない・気づかない・知らないままでいたいという
快楽を求め苦痛を避けるという根源的な欲求があります。
人間は
投影している自分の根源を見たくない、
根源に気づくことは苦痛だ、
根源を知ることは恐怖だ、
という苦痛を避ける欲求に阻まれ
投影していることを深堀りしようとしても
潜在意識・無意識の
表層、中層、深層、根源の
せいぜい表層しかわからないままで終わる、
という顕在意識の浅瀬しか
見えていないのと同じ状況の繰り返しになります。
それを回避するためにはとあるやり方があるのですが、
それを人間は知らないまま生きていかなければならないので
永遠に、そして
生きている間も
死んだ後も
生まれてきた意味を探し続けては
探しても見つからない。
を繰り返します。
そうならないためには
①人間の意識が階層構造だと知る
②投影を理解する
③投影の根源を知りたくないという欲求を突破する
そして最後に
④人間の根源的思いを知る
ここまでたどり着くと、
「なんのために生まれてきたのか?」という問いの答えが
簡単にわかります。
こういった方法を知っていると
・なんのために生まれてきたのかの答えがわかる
・投影を理解できるので自己理解が進む
・自分の思考や感情の根源を知ることができる
・自分とはなにか?ということがわかる
・人間の生きづらさの根源は「これらのことが自分自身でわからない」という不平不満なので生きづらさがなくなる
・生きていく際の感情的不和、抵抗や摩擦を自分で気づいて消すがことができる
・生まれてきた意味がわかった状態で生きることができる
・つまり目的地に一直線に向かえる
・時間の無駄をしないで済む
・同じ人生の繰り返しをしないで済む
・幸せとはなにかがわかる
・悩むことがなくなる
もし、これらのことができていないとしたら
・投影を理解していない
・意識の根源まで自分の力でたどり着いてないから腑に落ちていない
たったのこの2つです。
これができていないから人間は「悩む」んです。
生まれてきた意味を人生で探しているから見つからないんです。
それを見えなくしている自身のプログラムを撤去するだけでいいんです。
とはいえ、知らない人は一生撤去できない人生を生きていきます。
たったそれだけの違いです。
ですので、
「生きている限り、答えを求め続けるのでしょう」
これは、答えを見つけたいのではなく、
そのプロセスに意味があるのでしょうという
「答えはどうでもいい、旅に意味がある。」というのと同義です。
さて、冒頭の二人の大学生の話に戻りましょう。
彼らは一緒に大学を卒業し、
自分の内なる探求をずっと続けてきました。
でもその後の二人の人生を分かつ発見は
なんだったのでしょうか?
それは
自己理解、意識構造の理解と投影の突破法
そこから潜在意識への量子転送でセルフリメイクする方法
これに他なりません。
二人の老人の
一方は「生きる意味を探してきたこのプロセスに意味があった、、、」と
自分を納得させた生き方、
一方は「生きる意味を見つけたのでその目的地に向かって一直線に生きた」
この二人の人生には50年の時間差が生まれました。
探すプロセスに意味があると主張する人生と
答えを生きてきた人生。
どちらがお好みでしょうか?
もし前者なら、
今まで探求してきた人生を否定したくないから
「これからも探し続ける」というのはやはり
「答えを探しているわけではない」
という結論になりますね。
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って返信しようかと思ったんですが、
あまりにも長いのでやめました。
この文章は練習のために書いたんですけど、
煽りが多すぎてコメント欄でこれが来たら怖いよなぁ。
一対一という状況でこれはキツイよな
というわけでまだ返信付けてないんですが、
実際の返信は
「大変ですねぇー」とか「頑張ってください」とか
そんな適当な返ししかもうないだろうな笑
まぁ、改めて思うに、
人間ってホントこんなこともわからないまま生きていかないといけない
っていう最初のルール設定が本当にアホだよね。
一旦、なにもかもわからないアホになってから「帰ってこい」
というゲームなわけでしょ?
ドМな魂たちだぜ。
この設定のまま一生を過ごして生きていくのか
この設定を突破して一生を過ごして生きていくのか
みんな前者を選択するよね。
それって
一旦、なにもかもわからないアホになってから一生アホのままでいる
っていう選択なのわかってるのかしら?
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